10年

  • 2021.03.05
  • 執筆者:

早いもので、気付けばもう2021年の3月に突入しています。
そろそろメディアでも「あれから10年」というワードが頻出するようになる頃でしょう。
未曾有の大震災に見舞われたあの日、みなさんはどこでなにをしていましたか?

筆者は、東京で、出産をしていました。

最初に大きく揺れたのが午後2時ごろ。
その時点ではまだなんともなかったのですが、
数時間後には臨月のお腹が痛くなり始めました。
「こんな緊急事態だから、ストレスと緊張で不安定になっているだけだろう」
と軽く考えていたのですが、日が暮れるにつれ痛みは増していきます。

仕事に行っていた夫に連絡を取ろうにも、電話もメールも通じません。
鉄道は全線ストップ、道路も大渋滞。
待てど暮らせど、夫が帰宅する気配はありません。

病院に電話することもできないまま、夜の10時を迎え、
痛みはいよいよ「これは陣痛に違いない」と確信するレベルに達していました。

このまま自宅で産むのだけは避けたい。
そう思った自分は、陣痛の間隔が空いた隙を狙って、
持ち物をキャリーバッグに詰め込み、しっかり上着を着込み、外に出ました。
幸い、病院は自宅から歩いて5分の距離だったので、
痛みが来たら立ち止まってやり過ごし、痛みが引いたら歩き、の繰り返しで、ゆっくり15分ほどかけて到着。

陣痛の最中に体を動かしたのが功を奏したのか、
初産とは思えぬスピード出産で、日付が3月12日に変わった1時間後に長男が誕生しました。
病院から連絡を受けた夫は、都内を6キロほど走り、なんとか立ち合いにも間に合いました。

分娩台に乗っている間にも、何度も大きな余震がありましたが、
正直、恐怖よりも「(万が一避難が必要になった時のため)一刻も早く産んで、パンツを履きたい」
という気持ちが強かったです。

出産後は車椅子に乗せてもらったのですが、
別の階にある病室へ移動するためのエレベーターが止まっていたので、
階段の前で降ろされて「歩いて上ってください」と言われました。
骨盤はグラグラでしたが、妙なテンションになっていたので、ケラケラ笑いながら階段を上りました。

病室に辿り着き、数時間ぶりにテレビをつけると、
原発の状況が非常によろしくないという報道が飛び込んできて、そしてその日のうちに大爆発が起きました。
とんでもない日に産んでしまったな、と息子に申し訳なく思っていると、
ベテラン助産師さんが「こんな日に生まれた子は、きっと強く育つよ」と励ましてくれました。

あれから10年。
強く育ったかどうかはまだわかりませんが、
息子は10歳の誕生日を迎えます。
「毎年誕生日が避難訓練になる」とボヤいてはいるものの、
自分が生まれた日が一体どんな日だったのか、
年々理解を深めているようです。

つい先月、都内でも長い揺れを感じる余震がありました。
コロナ禍という状況でもあるので、SNS上では
「避難用持ち出し袋にマスクを入れるのも忘れずに!」という呼びかけも目立ちました。

災害への備えも、最新のバージョンへアップデートしていく必要があります。
いま一度防災意識を高め、次の10年を安心して暮らせるよう、ご家族で話し合ってみてはいかがでしょうか。

2021.03.05

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